楽器の彫刻というと、伝統的に花と植物模様というのが多くて、自分もその流れの中にある。でもたまに、動物や風景などの特別で強いご要望があると、なんとか達成したくなる。普通の彫刻作業とは別に、線画を起こしたり、どういう風に彫ったらいいかを検討したりするのに、かなり時間がかかってしまうのだが、そんなこんなも含めてオーナーさんと相談しながら進めていくのが性に合っていて、すごぶる楽しいのだ。

今回のオーナーさんは男性、楽器はYAMAHAのアルトサックスで金メッキのモデルだ。もちろんベルには既にメーカーの彫刻師さんの彫刻が入っている。なので、追加の彫刻をご希望なのは、ネック、2番管(キーがいっぱいついているテーパー管)、ベル先端だ。

絵柄のご希望については事前に伺った。花柄であれば「牡丹」か「芍薬」がお好きとの事。『立てば芍薬、座れば牡丹』という言葉まであるように、どちらもとても華やかで品のある花だ。ただし、とても花びらの数が多く、小スペースの中に彫刻として入れるのはなかなか難しい部類に入るかな? どうやればうまく表現できるかを考える必要がある。

もう一つ、ペットとしてフクロモモンガを2匹飼っていらっしゃるとの事で、それを入れられないかとの事だった。これはかかる時間と予算の関係のご相談になってしまうので、絵柄については楽器をお預かりする時に最終決める事にした。花を何にするかも含めて。

後日、神奈川県の湘南エリアから東京都の江戸川区船堀までわざわざ電車でいらしていただいた。余談になるが、湘南は『海を眺めるところにアトリエがあったらいいなあ』と僕の憧れるところだ。せっかく遠方からお越しいただくし、お昼過ぎということもあって、ついでにランチしながらのミーティングになった。場所は、インド料理店のゴヴィンダス。東京に住むインド人の方々が、東京で一番おいしいと噂するお店だ。この日もインド人の家族が食事中だった。日本人向けの味付けにしていないとの事だけど、さっぱりした味づけで美味しかった。

さて、お会いしてご希望やどんな活動をされてるか等も伺って、しっかりご本人イメージもできた。いよいよどういう絵柄にするかのコンセプトづくりだ。花に関しては、牡丹か芍薬のどちらかにした方が印象がはっきりするだろうという判断で、牡丹に決定した。ついでにペットのフクロモモンガの画像や映像も拝見した。初めて知ったのだけれど、フクロモモンガは腕と脚の間に皮膜があって空中を滑空する。オーナーさんに懐いていて凄く可愛い。これはどうにかせんといかんわ!!!!!!と思って、なんとか入れ込む方向で検討を進める事にした。

レイアウトに関しては、あくまでもメインのモチーフは牡丹の花にして、フクロモモンガはガーンと主張せずに、後ろ姿で小さく秘かにいて欲しいとの事。
という事で、その場でラフラフ画を描いていった。ネックとベル先端は説明しつつ描いたのだけれど、2番管はその場ではイメージが固まらなかったので一旦持ち帰り、サックスを前にしてあれこれ考えてみた。後日メールで送った結果は即OK。ネックと2番管とベルにそれぞれ牡丹の花が咲いて、さらに2番管の植物模様にからむように2匹のフクロモモンガが入る。1匹は真ん中あたりに、もう1匹は下の方に。ただし、実際にサックスに下絵を描いていく段階や、彫っている段階でも変わる可能性があることをお伝えした。

彫刻作業に入る前に、メインのモチーフの牡丹の花を調べ直した。花言葉は「王者の風格」「富貴」「高貴」「壮麗」。見た目と同じく花言葉も艶やかだ。そして、色・形・花びらの数が異なるいろんなタイプが存在する。小スペースに彫るにはだいぶ線の数を減らして、特徴を抽出したデフォルメが必要だ。

全体の構図は固まっていたので、まずは、ネックから彫り始めた。右面の下側の方にポイントとなる牡丹の花が位置し、そこからの流れが上面をぐるっと通って逆側の左面に連なっていく。

さて次はメインとなる2番管だ。改めて実物をじっくり見てレイアウトを検討し直した。花の位置や大きさ・数、そして2匹のフクロモモンガの位置も含めてラフとは若干異なってきた。オクターブキーの上も、キーやポストで実際には絵柄が途切れているけれど、流れの上では繋がっている。

最後にベル先端だ。ここは彫れる幅が狭いので、ネックと同じく、牡丹の花らしさを出すのが難しい。そして、レイアウトについてはあくまで僕の感覚だけど、グルっと一周彫ってしまうと予定調和的というか趣に欠けてしまうので、敢えて空白の部分を作ったり非対称にしたりというレイアウトにする。

いよいよ完成して、後は引き渡しのみ。果たして気に入っていただけるのか〜!という事で、またオーナーさんにわざわざ船堀までお越しいただいた。

またまたランチミーティングする事になったのだけれど、オーダーもそこそこにケースを開いて楽器を確認。しばらくして・・・・・・・

「本当は不安があって、ドキドキしていたんです。でも、出来上がりは想像を超えていました!フクロモモンガも主張し過ぎていなくてばっちりです。こんなに細かい彫刻の入った楽器は見たことがありません。ずっと見ていられます。最高です!」

おう〜絶賛いただきました。ありがたやありがたや〜。この瞬間にどういう風に彫ろうかと悩んだことが全部報われる。

後日、オーナーさんから連絡をいただいた。彫刻があまり細かいので、13倍のルーペをスマホに取り付けて写真を撮られたそうで、何枚か画像をいただいた。拡大すると粗が見えるけど、せっかくいただいたので一部だけでも公開しておこう。

オーナーさんにご満足いただいたので嬉しい限りだ。タッチに関して言うと、実は僕はそれが粗くても細かくても、綺麗であればどちらでもOKと思うのだけれど、結果的に自分の彫り方は細かい方になってしまった。大事なのは、このオンリーワンの絵柄にのせて、オーナーさん自身のイメージと想いを込められたかどうか。そのために、自分の持てる全力を込めて彫っているのだけれど、その度にこうした方がいいんじゃないかと気がつくことがあって、どんどん手数が多くなって細かくなってしまったのが真相だ。

この楽器がオーナーさんにとって唯一無二の相棒として愛され、一緒に音楽を楽しみ、さらには多くの人に愛と幸せを振り撒いてくれるような、そんな魂を込めた彫刻を目指してさらに努力が必要だ。一彫入魂!