前回、「管楽器の音色」と「彫刻」に関する考察(1)において、管体を伝わる音について仮説簡略化モデルによる考察を書いた。それをベースに、管楽器に彫刻を入れた場合、音色に影響しそうな要素を考えてみる。
ちなみに、今まで私にオーダーいただいたオーナーさんに、「彫刻前後で楽器の音色が変化しましたか?」ともれなく尋ねてきた。結果として、ほぼ全員が影響を感じられないというご意見だったので、その結果を踏まえての考察になる。
その経験的結果については、過去記事を参照いただきたい。→ <彫刻の楽器への影響について> ともう一つは、 <彫刻の楽器への影響について 2>
彫刻の凹みの深さは?
管楽器の彫刻は、管楽器特有のジグザグの彫り方や、彫金で使われる洋彫りの一本線による彫り方が使われてきた。いずれも手彫りの技術で、メーカーや時代によって、もっと言えば職人さんによってもタッチや深さが異なる。さらに昨今では、段々レーザー彫りが使われたりする時代になってきた。
実は、そもそも彫刻の凹み部分の深さを測った事がないので、数値的に確かな事を言えない。文献やネットで調べても出てないところを見るとあまり機能的要因としては重視されてこなかったのだろう。
私自身の彫り方で言うと、ジグザグ彫りではあるが、その中でも割と浅めの彫り方だ。例えば銀メッキや金メッキが3~10μ(0.003~0.01mm)でかかっているとすると、その範囲内でコントロールする事もできる。でも、その場合の彫りは浅くなって印象も薄くなってしまう。従って、通常はメッキ層以上に深く彫っていて、その力加減で推測すると、おそらく20μ(0.02mm)位以内じゃないかと思っている。
一方、ヴィンテージ楽器の彫刻を見てみると、同じジグザグ彫りでも私のより深そう。さらに洋彫りの一本線も多用されているが、見るからにかなり深い。この一本線の彫り方についてはいろいろと洋彫り関係の文章を調べてみたが、こちらも確かな数値は出てこない。ある本に100μ(0.1mm)位だろうと推測値を書いてあるのを見つけたが、確かではなさそうなので、いずれも今後測定できる方法を注視しておきたい。
また、近年とても多く使用されるようになったレーザー彫りに関しては、工業技術なので深さをコントロールできるようだ。その深さは機械の性能や、求める効果によって変化するようだが、一般的に例えば75〜125μ(0.075〜0.125mm)という数字が出てきたりする。楽器の場合はどれ位の数値でコントロールしているか知らないけれど、この数字が参考にできるのではないか。
ついでにロゴマークなどの刻印の場合、3次元的な表現をする事もあったりと、用途に合わせて深さをコントロールしていて、例えば500μ(0.5mm)前後だったりと、かなりジグザグ彫りより深い。ただし、削るのではなくプレス加工になるので、裏側に凸凹が出る事もある。
という事で、実際の正確な数値がわかってないけれど、上述の推測参考値をベースに比較すると、下図のようなイメージになる。
彫刻の凸凹形状による波の拡散から考えると
前回、私の仮説簡略化モデルでは、リードから生まれた振動の波が2つのルートで伝わり、管体の内側に音のコアが、外側に響きが形成されるとして考えてみた。もちろん、実際にはトーンホールがたくさん空いていて双方が干渉するはずだが。
その上で、管体の表面にできた彫刻の凹凸によって、それらの波にどのように影響するかを考えてみるとしよう。
通常の場合、彫刻をしていない楽器管体の表面は均一なので、音の波は空気層に向けて垂直に伝わっていく。
一方、彫刻した後というのは、表面上に凹みができている。すると、凹みの部分では、音の波は管体全体の面から空気層に垂直にではなく、斜めに伝わるため、波が拡散される事になる。
管体から外側の空気へ伝わる波が拡散すると、外側で形成される音の響きに関してなんらかの影響が出るが、その程度については彫刻のボリューム、線の面積と深さによるだろう。
もし表面がかなり広い面積で凹凸になった場合、管体外側にできる音の響きへの影響も大きくなる。例えば、線的ではなくて面的に大きく表面が変わるような削り方をすると、表面の波の拡散が大きくなり音色が変わったと感じられる可能性が出てくるかもしれない。
この外側の空気に対する管体表面の影響に関しては、スタジオの吸音壁を思い出すとイメージしやすそうだ。
例えば通常の部屋は壁が比較的平面で、中で演奏すると反響する。でも壁面を凸凹の形状にしたりしているスタジオの中だと、比較的反響しにくい。もちろん形状の他に素材の違いという要素もあるけれど。そして、室内の反響レベルに関しては、反射する平面の壁と吸収する壁面とのバランスでコントロールできる。
彫刻による管体板厚の変化から考えると
さて、彫刻の凹みのところは板厚が変化するのだけれど、その影響はどう考えればいいだろう?
単純に平面の場合、管体の板厚が薄くなると管体の振動量が増して、内側の圧力波は乱れやすくて音のコアの密度が低くなり、逆に外側の空気に伝わるエネルギーの増加によって、響きが多い音色になると考えられそう。これは正解という事ではなくて、私が昔行った異なる板厚のサックスによる実験結果傾向にも沿った、音のコアと響きのバランスに繋がる私独自の考え方だ。
でも、私の彫刻後の調査結果から推測すると、変化が顕著になるまでには、やはり広い面積で表面が変化する必要があるだろう。
音色の良し悪しについて
今までずっと述べてきたのは、あくまで彫刻後の音色の変化に関する考えで、彫刻によって音色が良くなるとか悪くなるとかではない。
以前、彫刻を入れると管体の表面積が増えるのでいい音になるという意見を聞いた事もあるけれど、過去の経験や上述のような考えから、私はそれには同意できない。
ちなみに、「いい音」とされるものは、演奏者の好みや音楽ジャンル、録音なのか生演奏なのかなどの環境など、いろんな要素によって変化する。また同じモデルでも楽器の個体によって音色が異なる事は多々あるし、逆に音色変化を期待してパーツを替える事もある。
実際のところ、サックスはほとんどのモデルが予め彫刻入りだ。特にヴィンテージものは音の良さで人気があったりするが、彫刻ボリュームがかなり多い。でも最初から入っているので、音色の良し悪しに彫刻が影響しているかどうかなんて考えず、見た目の美しさに気持ちもあがるのだ。
結論としては、面が変わるほどのボリュームでない限り、彫刻の音色への影響はそんなに気にしなくていいんじゃないかという事。さらには、音が変化する事と、音が良いのか悪いのかは別ということだ。
ただ、私自身は後から彫刻させていただくというスタイルのため、基本的に元々の音色に自分の彫刻が影響しないようにしたいと考えている。一方、楽器のオーナーさんの気持ちが限りなくアゲアゲになる事を目指している。