今回の依頼主は学生さん。比較的ご自宅が近かったので、お越しいただいて直接ご希望を伺う事にした。

音楽大学受験を予定していて、将来的にはプロを目指していらっしゃる。いろんな演奏を聴いたり調べたりもされてて、楽器や音色について明確な意見をお持ちだった。楽器はYanagisawaのアルトサックス。セルマー、ヤマハとも比較して、自分の好みに近い音色だし、この楽器で他の人にない自分らしい演奏をしたいとの事。

Yanagisawaに元々装着されていたネックはアッパースタイルだ。ピンクゴールドメッキ仕上げで、メーカーの彫刻が綺麗に入っている。でも、ご本人はスタンダードタイプの音色の方が好みとの事だった。なので、今回は追加で1本スタンダードタイプのネックを購入し、彫刻を入れてピンクゴールドメッキをかけたいとの事だった。

さて、どんな絵柄にするか?
ご希望を伺うと、植物柄をベースで、何かポイント的に花を入れるとするとハイビスカスだった。ハイビスカスはハワイを代表する花で、花言葉は「繊細な美」。美しく華やかなイメージだ。また、イニシャルなどは不要との事だったので、特に問題もなく承って、ネックをお預かりしたのだった。


今回のように、彫刻+メッキ仕上げの場合、ご近所の凄腕リペアマン、石井管楽器の石井さんにいろいろとお願いする事が出てくる。できあがるまでに次のような工程がある。
・コルク巻きを剥がす
・ラッカーを剥がす
・バフ研磨をかける(95%)
・彫刻
・仕上げのバフ研磨をかける(5%)
・メッキ
・メッキ後の仕上げ調整
・コルク巻き

一般にバフ研磨というのは、素地の金属を研磨して削り取って均一で綺麗な面に仕上げるので、彫刻も一緒に削れて薄くなってしまうのだ。なので、古い楽器をリラッカーしたり、新たにメッキ加工した場合は、彫刻が薄〜くなってしまっている事がある。

だから、石井さんにはバフ研磨を先に95%位かけて、彫刻後は仕上げの5%位でサラッと撫でるくらいにするという面倒な事をお願いしている。すると研究熱心な石井さんは、バフや研磨剤を変えてみたり、いろいろトライしてくれている。今回も美しく事前のバフ研磨を済ませていただいた。

次はいよいよ彫刻の番。まずはバフ研磨の終わったネックに下絵を描いていく。ハイビスカスは、以前も彫った事のある花で、彫り方もほぼ決めているのでスムーズに描ける。ところが、逆に『これでいいのか?』という疑問が出てきて、進まなくなってしまった。何か足りない気がする。依頼主の希望通りではあるけど、これでいいのか?

思い起こすと、ハイビスカスは強いて言えば位で、どうしてもという思い入れのある希望ではなかった。一方、依頼主は音大受験を控えていて、さらには音楽家を目指して他にない自分だけのオリジナリティを創り出そうと人生をかけている。そういう人に、『ハイビスカス+植物柄』という要素だけではオンリーワンの相棒にならないんじゃないか? もしイニシャルを入れていいなら、それを全体デザインの中核に据えたりして、その人だけのレイアウトも考えられるが、今回はイニシャルは不要なので、その方向性は排除する。

う〜ん、どうしよう、困った〜!もう納期の締め切りだしなあと悩んでいたら、ふと気がついた。実は、依頼主のお名前がもの凄いインパクトがあって、『鳳凰が翔ぶ』という意味を持つ。そうだ、これは鳳凰に翔んでいただくしかないんじゃないのか! これなら文句なしに依頼主をイメージしているし、オンリーワンの存在になりうる。すぐにメールで尋ねてみた。

「ハイビスカス中心の植物柄で普通に綺麗にできて、 全くなんの問題もないのですが、 若干物足らない感じがしております。 これだけだと、ただ何かの絵柄を彫っているだけで、○○さんの象徴としての絵柄にはならないような。この楽器が○○さんの相棒として存在するための絵柄には弱い気がして。 一つ、私から提案しても良いでしょうか? 会話の中で「ハイビスカス」が出てきたのは、○○さんの産み出す音楽に、 明るさや華やかさがあるという意味で観客に見える側の右面に。 そして、左面は自分によく見える側ですが、お名前から、鳳凰をモチーフにした絵柄を入れてもいいでしょうか? どんな音楽を奏でようと、そこには自分らしさがあるという意味で鳳凰に羽ばたいてもらおうかと思っています。」

すぐに返事が届いた。
「こんにちは。 ありがとうございます。 文章を読んでいて自分も実はそれを望んでいるという事に気づきました。 自分では表現できなかった理想の彫刻柄です! 是非その方針で宜しくお願いします!」

いやあ、やっと腑に落ちる絵柄が決まった〜。でもこれから線画を起こす必要があるので、〆切を伸ばしていただいて、数日間考えた。

鳳凰が夢に出てきてくれればスケッチできるのかもしれないけど、見た事ないから困る。ああでもない、こうでもないとか思いながら、いろいろラフラフを描いてみたが、やっと細いネックの中に収まるポーズが下記のような雰囲気になった。

これをベースに、右面のハイビスカス+植物柄と同じような線のトーン&マナーで統一感が出せるような線を考える必要がある。おそらく、細かく描くのではなく、鳳凰がモチーフで簡略化したものが良いだろう、などと考えつつ彫り進めていった。

やっと彫り上がった後は、もう一回石井さんに渡した。後は、仕上げのバフ研磨からメッキ加工、再度の仕上げとコルク巻きだ。約2週間ほどお預けして、見事にあがってきた。石井さんは腕も確かだけど、楽器に関する知識や探究心も凄いので、マニアックな話をするのも楽しい。

完成品は下記写真の通り。ただ、細くて断面が丸いので、ぐるっと回さないと全貌が見えなくて、やっぱり写真にはうまく映せないのが残念。

さっそく依頼主に連絡すると、出来上がりのその日の夜に納品する事になった。いつも思うのだけれど、問題は依頼主がどう感じるかだ。綺麗な絵柄や整ったデザインというだけでは心を打つ事はないし、他と異なるオリジナリティを感じるのも必要だ。自分の全力を注いで考えたり彫るのは当然だけれど、結果としてその楽器が依頼主だけの相棒としてオンリーワンの存在になる事を目指している。

またまた、最寄りの駅近のデニーズで待ち合わせ。あ〜、ドキドキする。この日、依頼主はレッスン帰りだそうで、ご本人も「ドキドキします〜」と言いつつ登場。ドリンクバーでドリンクを飲んでから、はやる心を抑えながらネックをお渡しした。さあ、結果はどうなってしまうのか!

プチプチ梱包材の包みをはがし、出てきたネックを見て出た言葉は、
「すごい仕上がりです。。。!!!!期待を大きく上回られました!」
「この彫刻から感じるものがあります!」
「このネックで、音大受験も頑張ります。プロになって、これを見せびらかせるようになります!」

よっしゃあ〜!!! ずいぶん悩んだけど、これで報われたし、ホッとした。

夜だったので、ちょっとだけ話をして早めに切り上げた。なんでも、ご本人のお名前には「鳳凰」が入っていて、お兄さんのお名前には「龍」が入っているそうで、縁起のいいお名前だ。ご両親の深い愛と想いを感じて、なんだかいい気持ちで1日が終了〜!

追伸をいただいた。
「音はとても鳴りが良く満足です!!」
良かった。嬉しいの一言。ありがたや。